大判例

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広島高等裁判所 平成2年(ネ)368号 判決

控訴人

学校法人川崎学園

右代表者理事

川崎明德

右訴訟代理人弁護士

森脇正

被控訴人

角田光永

渕上亜昭

右両名訴訟代理人弁護士

福永綽夫

廣兼文夫

小笠豊

大国和江

恵木尚

関元隆

沖本文明

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人訴訟代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

二  当事者双方の主張は次のとおり訂正し、付加するほかは原判決事実摘示のとおりであり、証拠関係は原審記録中の書証目録及び証人等目録並びに当審記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の訂正)

1  原判決一四枚目表九行目の「血清IgEの上昇(タ)、特異的IgEの上昇(タ)」を「血清IgEの上昇(一)、特異的IgEの上昇(一)」に、同一五枚目裏一、二行目の「告知すべき事実と観念していないか」を「県立病院への緊急入院の際城医師から薬の禁忌を全く聞かされていないか、極めて軽く告げられたため、これを失念したか、あるいは禁忌とまでは自覚するに至らず中浜医師の質問に対し告知すべき事実とまでは考え及ばなかったか」にそれぞれ改める。

(控訴人の追加主張)

2 龍子が県立病院に緊急入院した際城医師から薬物禁忌事実を告げられていたとすれば、それを失念していて中浜医師の問診の際これを告げなかった龍子にも著しい過失がある。

理由

一当裁判所は、控訴人病院の加藤医師は、アスピリン喘息の患者である龍子に対し、これらの患者に使用してはならないとされているボルタレンを軽率にも投与し、そのため同女にアナフィラキシー様症状を起こさせ、同女を死亡させた過失があり、従って控訴人は、民法七一五条の規定により龍子の相続人である被控訴人らに損害賠償金を支払うべき義務があると判断するものであるが、その理由は、次のとおり改めるほかは、原判決説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決二三枚目裏一行目に「しかし、ピリン系薬剤により軽い蕁麻疹を起こしたことがあった。」を加え、同二七枚目表五行目の「通念性」を「通年性」に改め、同裏一〇行目の「対比される」の次に「(但し、その反応は、臨床的にはアナフィラキシー反応と同様であって区別できない。)」を加える。

2  原判決三一枚目表一〇行目の次に改行の上次のように加える。

「前認定のとおり、龍子は、控訴人病院に気管支喘息の原因の追求とその対症療法の目的で入院したところ、鼻茸、を合併していたこと、三〇歳を過ぎてからの発症であること、また、控訴人病院における皮内テストにより特異的アレルギー源は確認されず、どちらかというと非アトピー型の気管支喘息であるらしいと判断されたことからアスピリン喘息が疑われたのであるから、気管支喘息の原因を追求し、できればその原因を究明して対策を確立するという本件入院の目的に照らして、龍子がアスピリン喘息か否かを確定することは本件診療契約の目的それ自体といわなければならない。しかも、」

3  原判決三二枚目表二行目の「前段」から同三、四行目の「認め難いけれども」までを「龍子がアスピリン喘息であるか否かを同女に対する問診だけでは確定診断をすることができない場合に、スルピリン吸入誘発試験を実施しないことが直ちに前示本件診療契約違反(不完全履行)になるとか、あるいはアスピリン喘息であることが疑われる喘息患者で鼻茸の手術が施行されることが予定され術後鎮痛解熱剤等を使用することが当然予測し得る者に対する診療契約違反ないしは法律上の注意義務違反になるとまでは認め難いけれども」に改める。

4  原判決三二枚目裏九行目から同三三枚目表二行目までを次のように改める。

「その際城医師は、龍子が薬を飲んだ直後に発作を起こしていることから、龍子の症状は同女が服用したボルタレン及びバカシルのいずれかの薬剤によるショックであると判断し、カルテの記載に「薬物アナフィラキシー」を加えたこと、また右発作は龍子が服用したボルタレン又はバカシルのいずれかにより誘発された可能性が強いが、いずれの薬剤も原因となり得るので、鎮痛解熱剤一般及びペニシリン系薬剤の龍子に対する使用を禁ずる趣旨で、カルテに「ピリン、ペニシリン禁」と記載したことは前認定のとおりである。」

5  原判決三三枚目裏八、九行目の「行ったが、右問診においても」を「行い、風邪薬とか痛み止めを常用しているかどうか、及び今までに解熱鎮痛剤(一般)を飲んで息苦しくなったことはないかとの問いを龍子に対してなしたが、龍子からは、いずれも否定の回答を得たのみで」に改め、同三四枚目表一行目から同三五枚目裏二行目までを次のように改める。

「(5) ところで、原審証人城智彦の証言中には、同医師は、龍子に対し「前示アナフィラキシー様症状はボルタレン又はバカシルの服用を原因とするものであり、同種の鎮痛解熱剤又はペニシリン系薬剤の服用は再度の発作を誘発するため危険であるから、どこの病院に行っても薬剤による発作歴があることを話すように」との趣旨の説明をしたように思う。薬剤名は、患者から聞いたか、患者自ら服用した薬を持参したのでこれを知ったか、又は投薬をした県立病院の耳鼻科に問い合わせて知ったかのいずれかである、との供述部分があり、〈書証番号略〉、被控訴人角田本人尋問の結果中には、緊急入院した際、龍子は服用した薬を県立病院に持参し、城医師にその薬を見せたところ、同医師から、今後この種の薬は使わないようにとの指示を受けた旨、自分はその薬の名は知らないが、龍子は薬のことに詳しいから、もし龍子が控訴人病院で薬のことを聞かれたら使用禁止の薬のことははっきり答えたはずである旨の記載ないし供述部分がある。

しかし、証人加藤収、同中浜力の各証言によれば、龍子は知的で聡明な女性であり、医師のいうことを正しく理解できたこと、中浜医師との間に信頼関係は十分あったことがそれぞれ窺われ、また前認定のとおり、龍子は控訴人病院に気管支喘息の原因の追求のため入院したものであり、中浜医師の第一回目の問診における「薬でアレルギー症状が発現したことはないか」との趣旨の質問に対し、ピリン系の薬で蕁麻疹が出たことがある旨答えているのであるから、龍子がもし城医師から右のような指示、説明を受けていたのであれば、中浜医師から改めて「解熱鎮痛剤を今までに飲んで息苦しくなったことはないか」と質問をされた際に、龍子が城医師の説明を失念していたとか、とっさには思い出せなかったとか、質問の意味をよく理解できなかったとか若しくは誤解したとかが原因で、又は何らかの理由で故意に、ボルタレン及びバカシル(又は鎮痛解熱剤及びペニシリン系薬剤)は禁忌であることを同医師に告げなかったというようなことは到底考えられないところである。

また、前示のとおり、〈書証番号略〉、被控訴人角田本人尋問の結果中には、龍子は服用した薬を城医師に見せたところ、同医師は今後この種の薬は使わないようにとの指示を龍子に対してなした旨の記載又は供述が存するが、証人中浜力の証言、被控訴人角田本人尋問の結果によれば、龍子とその夫の被控訴人角田とは当時夫婦仲も円満であり、同人は龍子の喘息の治療にも協力的で一緒に喘息の本を読んだりしていたことが窺われるのであるから、城医師が龍子に同女が持参した種類の薬の禁忌を告げていて夫もその場でこれを聞いていたとすれば、夫の被控訴人角田が、龍子にアナフィラキシー様ショックを起こさせた薬の名はもとより種類にすら関心を寄せず、これを知らなかったというのはいかにも不自然といわざるを得ない。また、本件記録によれば、当初被控訴人らは、ネオフィリンの急速注入の過失等を理由として本訴を提起したもので、問診義務違反ないしスルピリン吸入誘発実施義務違反を請求原因に加えたのは、県立病院(城医師)が裁判所の調査嘱託に応じて、龍子はボルタレン、バカシルの投薬により激烈なアナフィラキシー症状を起こして県立病院に緊急入院した旨、そこで同病院では龍子に対し消炎鎮痛剤を禁忌にした旨、龍子がボルタレンで悪化した可能性は大きく、いわゆるアスピリン喘息であった可能性は考えられる旨を昭和六〇年二月六日付の文書で回答した後の同年七月一七日付原告ら準備書面によってであることが認められるところ、控訴人病院のカルテ(〈書証番号略〉)には、手術後鼻部疼痛を訴えた龍子に対しボルタレン二錠が投与された旨記載されているのであるから、もし龍子が緊急入院した際城医師が同女らにボルタレンないしは鎮痛解熱剤の禁忌を告げているとすれば、これを傍らで聞いていたという弁護士である龍子の夫の被控訴人角田が、本件訴えを提起するに当たって、当初からボルタレンによるアナフィラキシー様ショックを龍子の死亡事由として主張していないのは不可解と言わざるを得ない。

もっとも、前掲証人城智彦の証言によれば、同医師は、当時は、龍子が県立病院に入院した際の症状はボルタレン(鎮痛解熱剤)又はバカシル(ペニシリン系抗生物質)のいずれかの薬物によるアナフィラキシー様症状であると診断していて龍子がアスピリン喘息であるとは全く考えていなかったことが認められるところ、そうだとすると、城医師が龍子に薬の禁忌を告げたとしても、同種の薬剤の服用は再度のアナフィラキシー様ショックを誘発する危険があるから禁忌である旨告げて喘息の発作の原因となる旨は告げなかったものと考えるのが相当であるが、もし中浜医師が、副島教授からアスピリン喘息の罹患の可能性を検討すべく龍子の薬物の既往歴について再度のチェックを指示されたので、龍子に対し、薬剤を服用して喘息その他のアレルギー症状が発現したことはないかとの趣旨の質問をしたとすれば、そのためにあるいは龍子がこれに対し否定的な回答をしたという可能性がないとは言い切れない。

しかし、前認定のとおり、中浜医師は、龍子にそのような限定的な質問をしたのではなく、解熱鎮痛剤を今までに飲んで息苦しくなったことはないかというより一般的な質問をしていると認められるから(これを疑うべき資料はない。)、龍子が、中浜医師の質問を限定的に解釈して、県立病院での薬物アナフィラキシーの件は聞かれていないものと判断して否定的な回答をしたものとは考えられないところである。

また、前認定のとおり、龍子は県立病院で鼻茸の手術をするはずであったのにこれを取り止めていること、〈書証番号略〉、証人中浜力の証言によれば、龍子は、控訴人病院に入院の際にも鼻閉や鼻茸の存在を医師には告げず、暫くしてから主治医の中浜医師に鼻茸の存在を告げたことが認められるから、同様に龍子は、城医師から薬物の禁忌を告げられながら、控訴人病院の医師らには薬物による発作症状を起こしたことがあることを故意に隠していたという可能性も否定できないではない。しかし、鼻茸の存在については、以前に、予定されていた手術を拒否したことがあることから考えて、あるいは手術をおそれて自らこれを告げることを躊躇したのではないかと考えられないではないが、薬物によるショック症状についてはこれを隠蔽すべき何らの理由も考えられないのであるから、当初龍子が鼻茸の存在を伏せていたというだけでは、龍子が故意に薬物によるショック症状を起こしたことがあることを告げなかったと認めるに足りない。

したがって、緊急入院の際龍子にボルタレン又はバカシルと同種の鎮痛解熱剤又はペニシリン系薬剤の服用は禁忌である旨を告げたように思う旨の前掲証人城医師の供述は、記憶違いと考えられ、にわかに採用できない。

また、〈書証番号略〉の記載及び被控訴人角田の供述も、いずれも、県立病院からの前示回答やカルテが証拠として提出され、城医師が証人として証言した後になってなされたもので、証拠価値に乏しく採用できない。

右認定の事実によれば、結局龍子は、城医師から前示緊急入院の原因となった発作が薬物によるものであることを告げられてはいないと認められるから、したがって、龍子は右発作が薬物によるものであったことは全く知らなかったものと推認される。

そうだとすると、アスピリン喘息の罹患の有無を判断するために副島教授から龍子の薬物の既往歴についての再チェックを指示された中浜医師が、右指示に基づき問診を行うに当たって、龍子に対し、仮に「今回の鼻茸の切除手術後には鎮痛解熱剤の投与も考えられる。ところが、アスピリン喘息患者に対しそのような薬剤を投与すると場合によっては生命の危険も生じうる。そこで、これからアスピリン喘息に罹患しているかどうかを判断するための問診を行う。」といった形で問診の趣旨を説明して理解させた上「これまで薬剤の服用によって異常が生じたようなことはないか。あるいは医師から飲んではいけない薬があるとの指示を受けたことはないか」という趣旨の質問をしたとしても、龍子から県立病院に入院した原因がボルタレン及びバカシルの服用にあるとか、鎮痛解熱剤あるいはペニシリン系薬剤の服用は禁忌であるとの指示を受けているとかの答えを引き出すことは不可能であったと認められる。

したがって、本件の場合、中浜医師の問診には不適切な点があったとは認められず、同医師には問診義務違反はないものといわなければならない。

4  ボルタレン使用についての注意義務違反について

アスピリン喘息の診断手順は前認定のとおりであり、アスピリン喘息の臨床像の特徴である中年発症、通年型、慢性型、鼻茸の合併、アトピー因子の関与が少ない等の症状を示す症例にあっては、アスピリン喘息ではないかと疑って十分に検索する必要があるところ、龍子は入院後暫くしてから中浜医師に対し鼻茸があるとの事実を告げ、昭和五八年五月二五日の教授回診により、龍子が右アスピリン喘息の臨床像の特徴を備えているところから同女がアスピリン喘息に罹患している可能性を疑った副島教授が、中浜医師に対し、薬物の既往歴について再度チェックし、アスピリン喘息の罹患の有無を検討するよう指示したこと、右検索のためにはアスピリン喘息の誘発物質である各種の酸性解熱鎮痛剤(酸性非ステロイド性抗炎症薬)による発作誘発歴を詳細に問診することが必要であり、問診によっても誘発歴が確定的でない場合には負荷試験を行うことが必要となること、ボルタレンも酸性非ステロイド性の鎮痛、抗炎症剤であって、アスピリン喘息又はその既往歴のある患者には投与してはならないものとされていることは、いずれも前認定のとおりである。

そうして、中浜医師は副島教授の指示に基づき再度龍子に対する問診を右同日に行ったが、右問診においても、龍子が県立病院に入院した原因がボルタレン又はバカシルのいずれかの服用が原因の薬物アナフィラキシーであるとの事実を聞き出せなかったことは前認定のとおりであるが、〈書証番号略〉、証人加藤収、同中浜力、同副島林造の各証言によれば、アスピリン喘息患者でも、喘息発症前にはアスピリンなどの鎮痛解熱剤を服用しても全く異常はなく、喘息発病後も、ある期間は服用しても呼吸困難発作を起こしておらず、負荷試験により初めて過敏性の保有が認められる者があることが認められるところ、前認定のとおり、龍子にはアスピリン喘息を疑わせる症状があったのであるから、たとい中浜医師の再度の問診の結果龍子がボルタレンなどの鎮痛解熱剤によって喘息の発作ないしはアナフィラキシー様ショックを引き起こした事実を聞き出せなかったとしても、それだけで龍子はアスピリン喘息ではないと確定診断を下すことはできず、負荷試験を実施しない限り、龍子がアスピリン喘息であるとの疑いはそのまま残っているものと言わざるを得ない。

ところが、前認定の事実並びに〈書証番号略〉、証人加藤収の証言によれば、同医師は、当日学会に出張して控訴人病院を留守にしていた中浜医師に代って病棟に待機していたが、鼻茸の手術を終えた龍子が鼻部疼痛を訴えるので、同女に鎮痛剤を与えるべく、中浜医師が記載したカルテ等によって禁忌の薬剤をチェックしたところ、カルテには「ピリン禁」とは記載してあったが、薬による喘息発作の既往歴なしとの記載があったところから、加藤医師は中浜医師による問診の結果龍子のアスピリン喘息の疑いは払拭され、したがってボルタレンを含む酸性解熱鎮痛剤に対し禁忌ではないものと即断して、龍子にボルタレン二錠の経口投与を指示したことが認められ、また証人城智彦の証言によれば、アスピリン喘息患者に用いる鎮痛剤としては、酸性解熱鎮痛剤でない非麻薬系の鎮痛剤があり、やむを得ずボルタレン等の酸性解熱鎮痛剤を用いる場合には、錠剤を砕いて患者の舌の先に少し乗せて暫く様子を見る等して安全を確かめてからこれを使うべきであることが認められる。

右認定の事実によれば、前示のとおりアスピリン喘息の患者にはボルタレンを使用してはならないとされているのに、加藤医師は、アスピリン喘息とは断定はできないもののその疑いが残っていた龍子に対し、同女はアスピリン喘息患者ではないとの誤った判断を下して、ボルタレン二錠をいきなり使用した過失があるといわなければならない。」

6  原判決三五枚目裏三行目の項番号「4」を「5」に、同四行目の「中浜医師」から同五行目の「否定され」までを「加藤医師の過失によりアスピリン喘息ではないものと誤って診断され」に、同七行目に二か所及び同九行目に「中浜医師」とあるのをいずれも「加藤医師」とそれぞれ改める。

二控訴人は、龍子が県立病院に緊急入院した際城医師から、ボルタレン若しくはバカシル又はこれらと同種の鎮痛解熱剤若しくはペニシリン系薬剤による発作歴があることを話すようにとの趣旨の説明を受けていながら、龍子には、中浜医師の問診の際同医師にこの事実を告げなかった過失がある旨主張するが、前認定のとおり、龍子が右事実を城医師から告げられたものとは認められないから、控訴人の過失相殺の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当である。

三以上の次第で、被控訴人らの請求を原判決主文第一項の限度で認容し、その余の請求を棄却した原判決は結局正当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官篠清 裁判官宇佐見隆男 裁判官難波孝一)

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